最高裁判所第一小法廷 昭和46年(オ)1110号 判決 1975年9月25日
上告人
トービン株式会社
右代表者
鵜飼五郎
右訴訟代理人
松尾菊太郎
外一名
被上告人
城南信用金庫
右代表者
小原鉄五郎
右訴訟代理人
橋本一正
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人松尾菊太郎、同石川利男の上告理由第壱、弐点について
一所論の手形貸付債権及び手形買戻請求権を、いずれも手形債権自体ではないとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠により正当として是認することができる。そうすると、被上告人が右各債権を自働債権として上告人が転付を受けた債権と相殺するにあたり、手形の呈示を要しないとした原審の判断は、その結論において正当である。
二手形貸付において、貸金の返済と貸金支払確保のため振出された手形の返還は同時履行の関係にあり(最高裁昭和二九年(オ)第七五八号、同三三年六月三日第三小法廷判決・民集一二巻九号一二八七頁参照)、また、割引手形を買戻すについて、買戻代金の支払と手形の返還は同時履行の関係にあると解されるから、債権者が、手形貸付債権及び手形買戻請求権をもつて債務者が債権者に対して有する債権と相殺するときには、債務者に手形を交付してしなければならない。そして、右受働債権が債務者から他へ転付されているときには、債権者は、右転付債権者に対して相殺の意思表示をする(最高裁昭和二九年(オ)第七二三号、同三二年七月一九日第二小法廷判決・民集一一巻七号一二九七頁参照)とともに、原則として、手形を同人に交付して相殺すべきである。しかし、右のような場合でも、相殺の結果、転付以前に遡つて受働債権が消滅するようなときは、転付は効力を生ぜず、転付債権者に手形を返還すべきではないから、(後述三参照)相殺するにあたつても、同人に手形を交付してする必要はないと解するのを相当とする。
これを本件についてみるに、原審の適法に確定した事実は次のとおりである。すなわち、被上告人は、訴外亀甲貴太郎に対し手形貸付債権及び手形買戻請求権を有し、亀甲は被上告人に対し預金債権を有していたが、右預金債権は昭和三五年八月九日転付命令により上告人に転付された。被上告人は、同年八月一九日右手形貸付債権及び手形買戻請求権をもつて右預金債権と相殺する旨上告人に対し意思表示をした。右手形貸付債権及び手形買戻請求権と預金債権は、昭和三五年七月二八日に相殺適状にあつたものである。右事実によると、右預金債権は相殺により転付以前に遡つて消滅することとなるから、被上告人は相殺の意思表示をするにあたり、上告人に手形を交付してする必要はないというべきである。そうすると、右と結論を同じくする原審の判断は、正当として是認することができる。
三以上のとおりであり、所論の相殺を有効とした原審の判断は正当である。論旨は、原判決の結論に影響を及ぼさない点について原審の認定判断を非難するものであつて、採用することができな
同第参点について
い。
金融機関に対する預金債権が預金者から第三者に転付された後、金融機関が右預金者に対し有していた手形貸付債権及び手形買戻請求権をもつて右預金債権と相殺した場合においても、相殺の結果預金債権が転付以前に遡つて消滅したときは、金融機関は、手形貸付について振出された手形及び買戻の対象となつた手形を、右預金者、すなわち、手形貸付の債務者兼手形割引依頼人に返還すべきであり、預金債権の転付を受けた転付債権者に返還すべきではない。けだし、右のような場合、相殺により、転付された以前に遡つて預金債権は消滅するのであるから、転付の効力は生ぜず、転付債権者の預金者に対する債権は消滅しないこととなり、相殺によつて金融機関が預金者に対し有していた債権が消滅したのは、預金者の出捐によるものであり、したがつて同人に対して手形を返還すべきであると解するのが相当であるからである。論旨は、これと異なる前提に立つて、原判決を非難するものであつて、採用することができない。
同第四点について。
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠に照らし、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張はその前提を欠く。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(藤林益三 下田武三 岸盛一 岸上康夫)
上告代理人松尾菊太郎、同石川利男の上告理由
第壱点 上告会社は、原審において「被控訴人が右相殺の意思表示をなすには、(イ)表及び(ロ)表各記載の各手形の交付を必要とするものであるから、これなくしてなされた右の意思表示は効力を生じない」と強調した(原判決事実摘一の3の(二)の(2)(3)参照)。
けだし、手形の交付は、手形貸付債権については、手形の受戻証券性から、当然これを要するものであり、また手形買戻請求権についても、その法的性質をどのように解するにせよ、その請求権の本質からして一般にその行使には、手形の交付を要するからである。すなわち手形買戻請求権を(イ)債権の売主の担保責任と解するときは、民法第五七一条により、同法第五三三条が準用せられ、(ロ)再売買説に従うときは、それが売買一方の予約と解すると、はたまた停止条件付再売買契約と解するとを問はず、いずれにしても民法第五三三条の適用あること勿論、更らに(ハ)これを手形法上の遡及権と同ようの請求権と解するときは、この権利の行使には遡及権と同ようの原則に従い手形と引換でなければならない(手形法第五〇条第一項)からである(昭和四一年五月六日付準備書面(四)五項―記録三一八丁一行目以下参照)。
更に上告会社は、本件転付命令により、本件預金債権を一旦取得したのであるところ、右予金債権と各約束手形債権とは互いに見返り担保となつていたものであるから、上告会社としては、右各手形が無事に支払われたときは、該預金債権は確実に自己の所有に帰するという、一種の期待権を有するものであるから、被上告金庫が右手形貸付金債権及び手形買戻請求権を自働債権として、本件預金債権と相殺するからには、被上告金庫は、上告会社の右期待権を尊重するためにも、右手形を上告会社に交付すべきは当然である。
然るに原判決は、上告人の右抗弁に対し「しかし被控訴人の自働債権は既に認定したとおり、手形貸付金債権及び手形買戻請求権であつて、手形債権でないのみならず右は訴訟上の相殺であるから、いずれにしても、被控訴人において、右相殺をなすに当り当然控訴人主張の手形を交付することを要するものでない」と判示して、叙上上告会社の右抗弁を一蹴した。
然れども、上告会社が該手形の呈示ないし交付を、本件相殺の要件と主張した所以のものは、(一)自働債権がいずれも手形債権であるからだといつているのではなく、前叙の如く手形貸付金債権については、手形の受戻証券性(手形法第三九条)からして、また手形買戻請求権については、その請求権の本質からしていずれも、手形の交付を必要とすると、主張したのである。されば原判決の右判断は誤れる前提に基くものであるから、その不当であることは深く論ずるに足らない。
また原判決は(二)「本件相殺は訴訟上の相殺であるから手形の呈示を要しない」と判示する。もとより訴訟上の防禦方法として相殺の意思を表示するときは、手形の呈示・交付を要しないことは、判例学説の認めるところではあるが、本件相殺は原判決の判示自体に示すように、訴訟上の相殺でないことが明かある。けだし原判決理由三の1によれば、「前顕乙第一七号証及び弁論の全趣旨によれば被控訴人は同年(昭和三五年)八月一九日付内容証明郵便を以て被控訴人に対し、被控訴人主張の手形貸付金債権及び手形買戻請求権を以て、控訴人が転付を受けた本件預金債権と、対当額につき相殺する旨の意思表示をし、右意思表示はその頃控訴人に到達したことが認められる」続いて同理由四において「以上のとおりであるから、控訴人が本訴において支払を求める(ハ)表記載の本件預金債権は、右三認定の被控訴人が昭和三八年(三五年の誤り)八月一九日付を以てなした相殺の意思表示によつて、すべて消滅したものというべきであると」判示した点から見ると、右相殺の時期昭和三八年八月一九日は昭和三五年八月一九日の誤記であることが認められるから、原判決は裁判外で行はれた内容証明郵便(乙第一七号証)でなされた相殺を、訴訟上の相殺と誤認した事実を前提として本件相殺には手形の交付を要しないというのであつて、その前提が間違つているからその結論の誤れるは当然であり、原判決は右何れにしても到底破毀を免れない。
或は被上告金庫は、右原判決が判示した相殺の日時昭和三八年八月一九日は、昭和三五年八月一九日の誤記でなくして、昭和四五年八月一九日の誤記であると強弁するかもしれない。然れでも原判決の判示がその前者であることは、判文に照らし一点の疑問を挿む余地ない所と信ずるも、被上告金庫が原審において提出した昭和四五年八月一九日準備書面第二項後段に「仮に右通知が相殺の意思表示とは認められず、相殺が無効であるとするならば、被控訴人は本訴訟において改めて控訴人に対し、相殺の意思表示を為すものである」と主張して居るので、これならばまさに訴訟上の相殺に相違ないが、原判決が指摘する相殺はこれをいうのではなく、昭和三五年八月一九日付内容証明郵便による相殺を指していることは叙上の如く判文上明かである。
仮りに本件相殺は昭和四五年八月一九日付準備書面に基く意思表示というならば、原判決理由三の1にある「昭和三五年八月一九日相殺」したとあるその判示と牴触し、民事訴訟法第三九五条①の六にいわゆる「判決理由に齟齬あるとき」に該当し、絶対的上告理由となるのは勿論、上告会社が原審において強調した重要な再抗弁に対し、全然判決を与えなかつた違法を犯したことにもなるのである。
けだし(イ)自働債権に伴う本件各手形は現在被上告金庫の掌中になく、被上告金庫は今や該手形の適法なる所持人でないから、今日において相殺をなすことは事実上不可能であるばかりでなく、(ロ)仮りに然らずとするも、被上告金庫の本件相殺をなすの権利は、講学上いわゆる形成権の一種に属すれども、従来の判例はこれを一種の債権として(大審院大正四年(オ)第七八号、大正四年七月一三日第一民事部判決民録二一輯一三八四頁)或は債権と同視し(大審院大正一〇年(オ)第九三号、同年三月五日第三民事部判決民録第二七輯四九六頁)一〇年の時効により消滅するものとしている(我妻・有泉両教授民法総則物権法コンメンタール二〇二頁二三四頁参照)。(ハ)なおまた然らずとして、相殺をなす権利には、民法時効の規定の適用又は準用がないものとしても、凡そ権利を行使し得る時より、一〇年以上もその権利を行使しないで放置していながら訴訟の旗色が悪くなつたからだといつて、今日に至つてこれを完全なる権利として実現しようとするのは衡平の観念に悖り信義の原則反するから到底許さるべきでない。学説上失効の原則というのはこれである。(成富信夫著「権利の自壊による失効の原則」参照)。
さればかくの如く、被上告金庫は(イ)現在該手形の適法なる所持人でないこと、及び(ロ)該相殺権は民法第一六七条一項の適用又は準用によつて時効完成し、或は(ハ)衡平の観念・信義則に基く失効の原則により、昭和四五年八月一九日の相殺の意思表示は遂にその効を奏するに由なかりしことを強調した(原判決事実摘示一の3の(三)の(2)参照)ところである。
されば原判決が本件相殺は昭和四五年八月一九日付準備書面に基く意思表示に基くものであるというのであれば、須く叙上(イ)(ロ)(ハ)の抗弁に対し、逐一審理をなしたる上、一々首肯するに足るべき理由を付して、上告会社の主張に応えねばならなかつたのに、原判決がこれらの点につき何らの審理をした形跡すらなく、漫然上告人の請求を棄却したのに徴すれば、原判決は重要なる争点につきその判決を遺脱し、審理を尽さなかつた違法あることにも帰するのでどのみち原判決は破毀を免れないものと思料する。
第弐点 上告会社は原審において「右手形貸付金債権及び手形買戻請求権の行使と右の手形とは、同時履行の関係にあるから、かかる抗弁権の付着した債権を自働債権とする相殺は、該手形の呈示・交付が伴わなければ許されない」旨主張した(原判決事実摘示一の3の(二)の(3)参照)。その理由の詳細は第壱点の論旨に述べたとおりであるからここに引用する。
これに対し原判決は「右に認定判断したとおり、右の前提自体が認め難いのであるから、この主張は更に立入つて判断するまでもなく理由がない。尤も右のうち手形買戻請求権の行使は、右請求権の本質よりして一般に手形の交付と同時履行の関係にあるものであるが、前記証人亀甲及び同松本の各証言と弁論の全趣旨によると亀甲は被控訴人との間の本件手形取引に基づく関係を一応決済した後において、被控訴人から(イ)表及び(ロ)表の各約束手形の返還を受けていることが認められ、右事実によれば亀甲は前認定の本件手形買戻請求権発生の際予め右同時履行の抗弁権を放棄していたものと認めるのを相当とするから、この点は本件において前記相殺を認める妨げとはならない」と判示した。
然れども、右判示の前段「右に認定したとおり右前提自体が認め難いものであるから云々」という「右前提」とは何を指すか原判文上は明らかでないけれども、恐らく前文にある「手形貸付債権及び手形買戻請求権は手形債権でないこと及び本件相殺が訴訟上の相殺である」とのことを指すのであろうが、若しそうだとすれば、その誤りであること既に第壱点の論旨に詳論したところであるから、ここにこれを引用する。
次にその後段「亀甲は前認定の本件手形買戻権発生の際予め右同時履行の抗弁権を放棄していたものと認めるを相当とする」と判示したのは、民事訴訟法第一八六条に反し「当事者ノ申立テサル事項ニ付判決ヲ為シ」た違法を犯しているのみならず、全く証拠に基かないで事実を認定した違法を免れざるものである。けだし訴外亀甲が本件手形買戻権発生の際予め右同時履行の抗弁権を放棄したとの事実は、被上告金庫が原審審において何ら主張した形跡なきばかりでなく、原判決が挙示する証人亀甲及び松本の各証言と弁論の全趣旨に徴するも右亀甲が該抗弁権を放棄したとの事実は到底これを認むることができないからである。
そればかりではない、凡そ同時履行の抗弁権は転付命令送達後は、転付債権者に移転し、もとの債権者亀甲には最早これを放棄するの権能を有しない。けだし転付命令送達後の転付債権を受働債権とする相殺は、転付債権者の犠牲において行われるからである。従つてその相殺の相手方もまた転付債権者とすべきであつて、従前の預金債権者を相手方とすべきでない。このことは原判決においても本件相殺の意思表示は被上告金庫の上告会社に対する昭和三五年八月一九日付内容証明郵便を以てした意思表示であると明示した所以である。されば仮りに亀甲が被上告金庫との間にかかる抗弁権放棄の契約をしたものとしても、該抗弁権はこれがために消滅する理由はない。
然り而して「手形買戻請求権の行使には、右請求権の本質よりして一般に手形の交付と同時履行の関係にあるものである」ことは、原判決の認定して居るところであり、また、支払確保のため振出された手形の債務者の既存債務の支払は、手形の返還と引換にする旨の同時履行の抗弁を為し得ることは夙に御庁の判例とするところである(最高裁判所昭和二九年(オ)第七五八号、同三三年六月三〇日第三小法廷判決、民事判例第一二巻第九号一二八七頁、昭和三一年(オ)第五三四号、同三五年七月八日第二小法廷判決、民事判例集第一四巻、九号、一七二〇頁参照)から、原判決は右御庁の判例に牴触し、破毀を免れないものである。
第参点 上告会社は、原審において「被控訴人は(イ)表及び(ロ)表記載の各手形を、控訴人に交付すべき義務があるのに、これを前記亀甲に返還してしまつたため、控訴人は被控訴人に対し履行不能による損害賠償債権のほか、不法行為による右金額の損害賠償債権を取得したものである」と主張した(原判決が引用した第一審判決事実摘示中(六)および原判決事実摘示中一の4参照)。
けだし、被上告金庫が、相殺によりその債権の満足を得た以上民法第四八七条、同法第五〇三条の類推解釈上債権証書である手形若しくは担保としても自己の占有中にある各手形はこれを上告会社に返還すべきである。すなわち
(一) 民法第四八七条は弁済のみについて規定するけれども、弁済以外の原因により、債権が消滅した場合にも亦債権証書返還請求権を認むべきは判例学説の一致するところである。
大審院大正三年(オ)第三〇八号、同四年二月二四日判決民録二一輯一八〇頁、大正一一年(オ)第五三八号、同年一〇月二七日判決、判決集第一巻七二五頁
大正一一年度判例民法穂積重遠氏評釈四五五頁
富井博士債権総論明治四五年東大講二五一頁
石坂博士債権一四四四頁
鳩山博士日本債権法四一二頁
柚木氏著判例債権法総論下巻二三頁等
(二) 本件相殺は訴外債務者(亀甲)のために、上告会社が転付命令により得た預金債権により、上告会社の損失において、被上告金庫は、債権の弁済を受けたと同ようの満足を受けたものであるから、上告会社はその経済的関係においては、恰も代位にあると毫も異ならないから、上告会社は民法第五〇三条の類推により、その債権に関する証書は勿論、その占有にある担保物はこれを上告会社に返還すべき義務あること勿論である。
然るに原判決はこれに対し「控訴人の右請求は、被控訴人主張の如き手形交付の義務があることを前提とするものであるところ、本件において被控訴人にかような義務があるものとは認め難い。けだし本件相殺の結果受働債権である前記預金等各債権が消滅しても、そのことによつて控訴人が亀甲にかわつて自働債権たる前記手形貸付金債権及び手形買戻請求権(しかも手形債権でないことは既に述べたとおり明白である)を、弁済したことになるものでないことはみやすい道理であるから、控訴人は被控訴人に対し、その主張のように手形の交付を求め得べき限りでないからである」と判示して、上告会社の叙上抗弁を無下に排斥した。
然れども、
(一) 原判決が本件において被上告金庫が手形の交付義務がないと認定したのはその独断である。けだし、被上告金庫が相殺に依り、手形債権の満足を得た以上は、民法第四八七条、同第五〇三条の類推解釈により、債権証書たる手形又は担保として自己の占有中にある各手形を、上告会社に返還すべき義務あること既に詳論した通りであるからである。
(二) 原判決が「本件相殺の結果受働債権である前記預金等各債権が消滅しても、そのことによつて、控訴人が亀甲にかわつて自働債権たる前記手形貸付金債権及び手形買戻請求権を、弁済したことになるものではない」と判示したのは、原審が相殺の効果に対する認識不足の結果に外ならない。けだし、被上告金庫の亀甲に対する本件各手形債権が決済されたのは、転付命令に依り一旦上告会社に帰属した預金債権を以て相殺し決済したのであり、上告会社の犠牲においてこれが行われたのであるから、上告会社は恰も亀甲に代わつて手形貸付債権等を弁済したのと、その結果において何ら異なるところはない。この点において上告会社は代位弁済者の地位と、そつくりだから、民法第五〇三条の準用により、被上告金庫は該手形を上告会社に返還すべき義務あるものといわねばならない。
(三) 原判決が、「手形貸付債権及び手形買戻請求権は、手形債権でないからこれを自働債権として相殺をする場合に手形の交付を要しない」と判示するけれどもそれが誤りであり、最高裁の判例にも反することは既に第弐点の要旨に詳論した通りであるからこれを援用する。
要するに転付命令送達後における相殺は、転付債権者の犠牲において行われ、上告会社は転付命令によつて一旦取得した預金債権を、手形債権決済のために失い上告会社は恰も亀甲に代つてその債務を弁済したのと同ようの関係になるから、被上告金庫は該手形を上告会社に返還すべき筋合である。然るに被上告金庫がこれを上告会社に返還しないから、被上告金庫は債務不履行又は不法行為に基く損害賠償の責任を免れないのに、原審がたやすく上告会社の請求を棄却したのは、審理不尽にあらざればすなわち判決に理由不備の違法あつて到底破毀を免れないものと思料する。
第四点 <省略>